2017年12月10日 午後からはケイシーのスタディグループ
3回目の上巻第2課
テーマは『自己を知る』

私たちは地上的・物質的な物差しではなく
自身の霊性によって自分を評価しなければなりません。


ってことは???

「自分自身の本当の《理想》を基準にし、それによって測るべきであり」(P58)
「自分の所有するものによってではなく、
自分が分かち与えるものによって評価されることを求めるべきです。」(P58)

ということ。

そして私たちは理由があって今この状況にいて
今の状況が鍛錬にちょうどよい、ということなのだそうです。

ふ~ん。

いっぱいお金を持っているとか豪邸に住んでいるとか
高価なものを身に着けているとかではなく
今自分が持っているもの(物質的、非物質的にかかわらず)をどれだけ他の人と分かち合い与えることができるのかが大切なのよね。
このあたりの教えはさすがに3巡目になるとするっと入ってくるようになりました。
ちゃんと実践できているかどうかは別問題ですが・・・
そして誰もが自分の鍛錬のために最も適した環境に今いて
その中でできる方法で有形無形を問わずシェアしたりギブしたりできているか
そういう点で自己を評価するべきなのですね。
持っているものが人によって違うだけで
物質的なものをたくさん持っている人
思いやりをたくさん持っている人
何かの能力をたくさん持っている人
などなど、みんなそれぞれたくさんもっているものがあるはず。


《肉体を知る》
「肉体は生ける神の宮である」(P59)
なので、神殿を美しくするのは私たちの義務
大事に扱わなければなりません。
肉体をおろそかにしないように生活しましょう。

「肉体は本質的に、内なる自己を物質的に表現したもの」(P60)であるから
「私たちは自分の持つ思いと願望にいつも注意を払わなければなりません。」(P60)



《精神体と霊体を知る》
私たちは今回の人生だけで人格を形成してきたのではなく
いろいろな過去性や霊的生活の影響を受けています。
人格形成は、遥か昔から続いてきているのです。
「ケイシーは「木は倒れたところに横たわる」という聖句をしばしば引用しました」(P61)
私たちは死んだときの意識状態を維持する、つまり死に方は次の方向を決めるようです。
この世を去るときに今回の人生のすべてに感謝して愛の言葉を言えたらどんなに素敵でしょう

イエスは言われました。
「口の中に入るものが人を汚すのではない。口から出るものが人を汚すのである。」(P61)
よいことを口にするよう心掛けたいものです。
自分自身の日々のひとつひとつの思考や言葉が大切になってきます。

「自分の言葉と行動が、日頃わたし達がそうありたいと願っているものを反映しているかどうか、言葉と行動が不一致にならないよう、自己を省み、自己を鍛錬するのはわたし達の義務です」(P64)

「わたし達が心に抱いているものがわたし達の肉体に刻み込まれ、それはわたし達の魂にとっての食物となるだけではなく、別の世界に移った時に、わたし達の魂が受け継ぐ財産となります。」(P69)

おっとこれはすごい
わたし達の日々の思いはわたし達の魂の食べ物となり
さらにそれが別の世界に移るときに持っていける財産となる、だなんて。
ひと財産つくりたいにゃ